シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

163.大国主命の国譲り神話と荒神谷遺跡

今回は「大国主命」をキーワードとし、荒神谷遺跡や国譲り神話、そしてスサノオとのつながりや水とつながる竜宮界を紹介する。
※本記事は通説と異なる内容を含みます

荒神谷遺跡で見つかった358本の銅剣
島根県の東部に荒神谷遺跡はある。1983年の調査で発見された。斐伊川(ひいかわ)が宍道湖に流れており、その宍道湖の西岸に連なる丘陵に挟まれた谷あいに荒神谷遺跡は位置する。名前の由来は遺跡の南側に「三宝荒神(さんぽうこうじん)」が祭られていることに由来する。全国での銅剣の出土は、荒神谷遺跡発見までは総数として300本あまりと少なかった。しかしこの遺跡によって一挙に358本もの銅剣が新たに発見された。銅剣は4列に整列して並ぶ。出雲には大国主の国譲り神話のある。この地において銅剣を納め「戦わない」という意志表示であるかのように並んだこの事象は、国譲りを象徴しているのかもしれない。なお銅剣のほか、銅鐸6個、銅矛16本が見つかっている。銅鐸は国内最古型式のものが含まれるとされる。

大国主命の国譲り
神話上では大国主が天神御子(あまつかみのみこ)に対して国を譲ったとされる。大国主命は実在の人物で島根県の豪族として生まれ、日本の国造りに貢献した。日本武尊(倭建命)が200年代後半~300年代初期にかけて東征する際に大国主をはじめとする出雲の勢力が協力を行った。これが大国主の国譲りである。

■2つの東征と出雲
「東征」を行った人物は須佐之男、そして日本武尊がいる。スサノオヤマタノオロチ退治で出雲、そしてクシナダ媛と関りを持つ。スサノオ新羅に遠征をおこなったため、天照から追放されたとされる。出雲との神話上でのつながりがあるため、おそらく地理的に出雲ルートで新羅に渡ったのだろう。これが出雲の国引き神話として残ったものと考えられる。そして邪馬台国出身の日本武尊の東征では、出雲において大国主の国譲りとして神話に残っている。

宍道湖
島根県にある周囲約45kmの全国で7番目に大きい湖であり、湖松江市出雲市にまたがる。水辺と縁が深い宍道湖などは高天原において海神や龍宮界と縁が深いとされる。その龍宮界は特殊な構造とされる。通常、次元構造として、異なるより上位の領域に対しては上段から下段に行くことは可能だが、下段から上段に上がることは難しいとされ、階層構造のように領域がわかれるとされる。しかし龍宮界は特殊である。クッションの上に重いボールを載せるとその重さによって窪みができ、上位の層が下段の層までが浸透してつながるような特殊な構造を持つ。宍道湖のほか、琵琶湖や富士五湖なども竜宮界とつながっているとされる。

<参考>
大国主 - Wikipedia
ヤマトタケル - Wikipedia
三宝荒神 - Wikipedia
国譲り | 神社本庁
荒神谷博物館:荒神谷遺跡