シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

55.個別自衛権のない時代の日米安保から集団的自衛権を前提とする新安保へ

日本はアメリカと日米安全保障条約を結ぶ。これによってアメリカ軍が駐留することになった。世界はいまだ戦争であふれている。領土問題によって経済支援を引き出したい諸国もある。一方、この条約によって日本の戦後の平和が維持されてきたことも事実。次の流れで見ていく。
朝鮮戦争警察予備隊
日米安全保障条約
・平和条約発効後も残った米軍基地
ベトナム戦争を経験したアメリ
集団的自衛権
・新安保条約と集団的自衛権
日米地位協定

朝鮮戦争警察予備隊
 韓国と北朝鮮の間で「朝鮮戦争」が1950年6月から始まった。GHQは日本に対し1950年8月、「警察予備隊令」に基づいて「警察予備隊」をつくらせた。その後、この警察予備隊は1952年8月には「保安隊」、1954年7月には「自衛隊」となった。

日米安全保障条約
 1951年9月、サンフランシスコ平和条約の締結とともに「日米安全保障条約」が結ばれた。当時、日本は武装解除状態にあった。また「自衛権」も持っていなかった。
※「個別自衛権」である。

自衛権とは自国の権利や利益が違法に侵害されたとき、国家として防衛行動をとるための国際上の権利である。

1946年に日本国憲法を成立によって他国が侵略した場合でもこの自衛権の行使の根拠があいまいな状態になっていた。このことによりアメリカ軍が駐留する根拠となった。

■平和条約発効後も残った米軍基地
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効された。これをもって日本はいったん主権を回復したことになる。しかし沖縄では米軍による統治が続いたが、1972年に返還された。それでも米軍基地は本土、沖縄ともに残った。米軍基地の面積は
・1972年時点:28,660ha
・2015年時点:22,992ha

本土と沖縄の面積の比率は
・1972年5月    本土 41.3%    沖縄 58.7%
・2020年3月    本土 29.7%  沖縄  70.3%
となる。
ただ面積比率の焦点を当てれば国内分裂の危険性がある。過去、大陸からの渡来人のルートとして対馬が要所であった。現在は東南アジアや中東とのシーレーン、および中国を意識した国家安全保障上、沖縄が要所となっている。

東京にも米軍基地は残る。
↓は参考

1 在日米軍基地 | 東京都都市整備局

にて東京における米軍基地が掲載されている。また、横田空域に代表される米軍基地周辺エリア上空の空域利用は今もなお禁止または高度制限されている。また米軍の事件、事故も絶えない。日米地位協定は圧倒的に米国側に有利である。しかしこれも守ってもらっている、というメリットと引き換えとなったデメリットでもある。

ベトナム戦争を経験したアメリ
 ベトナム戦争(1955-1975)は、当時南北に分断されていたベトナムにおいて、
 北ベトナム社会主義ベトナム民主共和国
 南ベトナム:資本主義・ベトナム共和国
が争った戦争である。ゲリラ戦となり、アメリカ軍は苦戦した。アメリカ軍は枯葉剤を投入し、潜伏者を探し出そうとした。日本でも有名になった「ベトちゃん」「ドクちゃん」の双子の兄弟は、母親が枯葉剤入りの水を飲んだことによる影響とされる。

また、1964年のトンキン湾事件アメリカの自作自演であることがのちの1971年、ニューヨークタイムズによって明らかにされた。最終的にはアメリカは撤退して幕引きをはかった。アメリカとしては唯一の敗戦となる。

集団的自衛権
 集団的自衛権とは、他国が武力攻撃を受けたとき、自国が攻撃を受けていなくても共同で防衛を行う権利である。1945年の国際連合憲章第51条で認められている。
 メリット:強者が他国を守ることもできる
 デメリット:イデオロギー対決などで濫用されると軍事介入などを正当化できてしまう という特徴がある。ベトナム戦争によって「集団的自衛権」の概念が変化していった。

■新安保条約と集団的自衛権
1960年には新安保条約「日米相互協力及び安全保障条約」が結ばれた。新条約では「集団的自衛権」を前提とし、日米の双方が「日本および極東の平和と安定に協力する」ことを規定した。しかし、日本はこの集団的自衛権保有はするが、行使はしないとの立場をとった。

日米地位協定
新安保条約に付随して「日米地位協定」が結ばれた。地位協定は「在日米軍」の「日米間での取り扱い」を定めている。この地位協定を運用するのは「日米合同委員会」とされる。矢部宏治氏(ノンフィクション作家)によれば、この委員会が実質的な日本における最高の意思決定機関とされる。

<参考>
・知ってはいけない 矢部宏治
・知ってはいけない2 矢部宏治
日米安全保障条約
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 - Wikipedia
横田空域の返還 | 東京都都市整備局
日米安保体制Q&A
アメリカ軍 - Wikipedia
日ソ共同宣言
日米合同委員会 - Wikipedia
ベトナム戦争 - Wikipedia
トンキン湾事件 - Wikipedia
集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
在韓米軍 - Wikipedia
防衛省・自衛隊|令和4年版防衛白書|3 沖縄における在日米軍の駐留