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425.新撰姓氏録とは何か

新撰姓氏録とは何か。次の流れで紹介していく。
新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)
嵯峨天皇(さがてんのう)
・万多親王
藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)
皇別
・神別
・諸蕃
皇別氏族における歴代天皇別の出自数

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)
古代氏族の名鑑。
815年(弘仁6年)に編纂された。

嵯峨天皇の命によって万多親王(まんだしんのう)、右大臣・藤原園人(そのひと)、藤原緒嗣(おつぐ)らによって新撰姓氏録は編纂され、814年(弘仁5年)に完成。

ただし、不備のある点や源朝臣の条を追加などし、朝廷へ献上されたのは815年となったという。

その内容は、京平安京畿内に住む1182氏について祖先を明らかとしたもの。

ただし、氏族の改賜姓(かいしせい、姓を改めること)の正しさを判別することを目的として編纂されたという。

その出自により
皇別
・神別
・諸蕃
に分類される。

また、氏名(うじな)の由来や分岐を記述する。

嵯峨天皇(さがてんのう)
生没年は786年~842年。
在位は809年~823年。
諱は神野(賀美能・かみの)
823年弘仁14年)空海に東寺(とうじ)を賜った。

東寺は所在は京都市南区九条町。
東寺真言宗総本山の日本の仏教寺院。

平安京鎮護のため朝廷の官寺として建立がなされ、嵯峨天皇より空海に下賜されたという。

空海橘逸勢嵯峨天皇平安時代初期における三筆とされる。

自ら国葬を拒んだとされる。

財政圧迫を回避するため皇族の整理を行った。
皇子女の多くに源(みなもと)の姓を賜り、臣籍降下させた。
これより源氏が成立したという。

■万多親王(まんたしんのう、まんだしんのう)
桓武天皇の第五皇子。
生没年は788年~830年。
804年に茨田から万多に改名した。

814年時の官位は四品・中務卿であったが、新撰姓氏録成立後の817年弘仁8年)、三品に叙せられた。
また、823年弘仁14年)には式部卿に任ぜられた。
↓はwikipedia、万多親王

ja.wikipedia.org

藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)
平安時代の政治家。
生没年は774年~843年。

新撰姓氏録のほか、日本後紀の編纂も行った。

日本後紀は840年に完成した、792年から833年までの42年間を記した六国史(りっこくし)の3番目にあたる史書

皇別
神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族。
335氏が挙げられている。

代表的なものに清原、橘、源がある。
皇別はさらに
皇親:真人の姓をもつ
・それ以外の姓をもつ
に分かれるという。

■神別
神武天皇以前の神代に別れた氏族、あるいは生じた氏族。

404氏を挙げる。

神別はさらに3分類される。

・天神:天神瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)天孫降臨した際に付き従った神々の子孫

天孫瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫

・地祇:天孫降臨以前から土着していた神々の子孫

■諸蕃
渡来人系の氏族。
326氏が挙げられる。
つぎの5分類、
百済:104氏
・高麗高句麗:41氏
新羅:9氏
加羅:9氏
・漢:163氏
が挙げられる。

百済が多く、次いで高麗、新羅加羅となる。新羅朝鮮半島を統一するものの、百済を滅ぼしており、日本において、特に日本書紀において悪者扱いのふしがある。

なお、皇別、神別、諸蕃に属さない117氏があげられているという。

皇別氏族における歴代天皇別の出自数
新撰姓氏録より、歴代天皇皇別の氏族・335氏の出自をカウントすると次のようになるという(合計333氏族)

・初代 神武 21
・第2代 綏靖 0
・第3代 安寧 2
・第4代 懿徳 4
・第5代 孝昭 44
・第6代 孝安 0
・第7代 孝霊 8
・第8代 考元 108
・第9代 開化 22
・第10代 崇神 33
・第11代 垂仁 9
・第12代 景行 21
・第13代 成務 0
・第14代 仲哀 5
・第15代 應神 12
・第16代 仁徳 0
・第17代 履中 0
・第18代 反正 0
・第19代 允恭 0
・第20代 安康 0
・第21代 雄略 0
・第22代 清寧 0
・第23代 顕宗 0
・第24代 仁賢 0
・第25代 武烈 0
・第26代 継体 5
・第27代 安閑 0
・第28代 宣化 4
・第29代 欽明 0
・第30代 敏達 19
・第31代 用明 3
・第32代 崇峻 0
・第33代 推古 0
・第34代 舒明 1
・第35代 皇極 0
・第36代 孝徳 0
・第37代 斉明 0
・第38代 天智 3
・第39代 弘文 0
・第40代 天武 9
・第41代 持統 0
となる。

つぎのことがわかる。
当時の氏族の長が自らの出自を知っているかどうかは明らかではないが、

・第8代の考元天皇が108と最大である。秦が滅亡したのが紀元前206年。
考元天皇は在位で紀元前214から紀元前158年と秦の滅亡と近い。

・神武は天之御中主+ヤマトタケルの人格とされる。天之御中主の紀元前800年頃、ヤマトタケルは紀元後300年前後の人物。
そのヤマトタケルの東征頃を示す景行天皇に21氏族ある。

・仁徳~武烈までの、倭の五王を含む時代は全て0になっている。
この時代は朝鮮の三国時代でもあり、特に倭は任那百済を保護しつつ高句麗と戦っている。

敏達天皇(在位:572年~585年)が19と継体以降では最大。
任那(みまな)滅亡が562年で、これとやや近い。

<参考>
新撰姓氏録 - Wikipedia
万多親王 - Wikipedia

東寺 - Wikipedia
六国史 - Wikipedia
日本後紀 - Wikipedia
古田史学会報 二十九号