シン・ニホンシ

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322.古事記の原本はない、最古の写本は南朝よりでは

古事記の原本はみつかっていない。一方、現存する最古の写本は愛知県の大須観音にあるものとされる。なぜ原本がないのだろうか。次の流れで紹介していく。

古事記の原本
・最古の写本は古事記の成立から約660年
南北朝時代
南北朝時代の1371 年~1372 年という時代
神皇正統記じんのうしょうとうき)
・まとめ

古事記の原本
古事記の原本はみつかっていない。
現在あるのは写本である。

最古の写本は1371 年~1372 年のもの。

愛知県の大須観音、正式名称は北野山真福寺寶生院に伝わる真福寺本「古事記
が最古とされている。

大須観音はもともとは岐阜県羽島市大須にあった。

1324年に後醍醐天皇が長岡庄に北野天満宮を建てたその別当(べっとうじ、神仏習合であった時代の江戸時代以前、神社を管理するために置かれた寺)として能信上人(のうしんしょうにん)が創建したのが始まりとされる。

ゆえに、大須観音後醍醐天皇とつながりがあると考えられる。

続いて、この1371 年~1372 年というのはどういう時代にあたるだろうか。
大きく2つのポイントを紹介したい。

■最古の写本は古事記の成立から約660年
1371 年~1372 年という年について。
日本書記に基づき、紀元前660年の2月11日を日本の建国の時点とする。

この「660年」を意識したとき、古事記が成立した712年から1372年というのは660年後にあたる。

また、そのとき時代は南北朝時代である。

南北朝時代
南北朝時代は1337年から1392年。
広義の室町時代、1336年から1573年に含まれる。

後醍醐天皇元弘の乱鎌倉幕府を打倒し「親政天皇が自ら行う政治)」を開始する。

建武政権の新政策として「建武の新政」という。

新政は天皇が政治を行うため立憲君主制の一種だろうか。

しかし元弘の乱のあとの混乱を治めることができずに建武の新政は失敗する。

そして足利尊氏が京都で新たに光明天皇北朝持明院統を擁立する。

これに後醍醐天皇が対抗する。
後醍醐天皇は京都を脱出し南朝大覚寺統として吉野行宮(よしののあんぐう/よしのあんぐう)にて政治を行った。

吉野行宮は、現在の奈良県吉野町大字吉野山に所在した南朝の行宮。
大和国吉野山の山中にあたる。
↓は後醍醐天皇三種の神器について扱った回

shinnihon.hatenablog.com

南北朝時代の1371 年~1372 年という時代

北朝
後光厳天皇(ごこうごんてんのう)北朝第4代天皇、在位が1352年~1371年。
後円融天皇(ごえんゆうてんのう)北朝第5代天皇、在位が1371年~1382年。

一方、南朝は先述の後醍醐天皇を始まりとする。
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の在位は1318年から1339年。

続いて後村上天皇(ごむらかみてんのう)、その在位は1339年から1368年。
さらに長慶天皇(ちょうけいてんのう)、その在位は1368年から1383年。
と続いていたときである。

この北朝後光厳天皇の時代に何があっただろうか。
1350年から1352年にかけて正平一統(しょうへいいっとう)が起こると北朝が一時的に消滅。

そして急遽、三種の神器太上天皇(譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号またはその尊号を受けた天皇の詔宣も無く、践祚皇位についた)
在位中、南朝に三度も京都を追われた。

神皇正統記じんのうしょうとうき)
南北朝時代南朝公卿の北畠親房が著した歴史書
神代から1339年(延元4年、暦応2年)の後村上天皇践祚までを書いたもの。
何のために書いたかはわかっていない。

■まとめ
後醍醐天皇南朝である
大須観音はもともとは岐阜県羽島市大須、1324年に後醍醐天皇北野天満宮別当寺(べっとうじ)として能信上人(のうしんしょうにん)が創建
神皇正統記南朝公卿の北畠親房が著した、神代から1339年の後村上天皇践祚までを書く

・現存する古事記写本は愛知県の大須観音、正式名称は北野山真福寺寶生院に伝わる真福寺本「古事記

・奈良が南朝、京都が北朝

京都が主に西暦400年頃に渡来したネストリウス派秦氏によって開発された都市であった。とすると、奈良はそれ以前のテクノクラートによって開発された都市。このあたりが、その後の氏族(貴族)の対立の歴史につながっているのだろうか。

よって古事記は成立後に多少、後の人たちの手が入っている可能性がある。

なお、続日本紀(しょくにほんぎ)は菅野真道らによって797年に完成。ほか古語拾遺もある。神皇正統記はそれらの後続的な意味合いを持たせたのだろうか。

<参考>
元弘の乱 - Wikipedia
建武の新政 - Wikipedia
神皇正統記 - Wikipedia
別当寺 - Wikipedia