シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

36.不平等条約の改正と明治天皇崩御で一時代が終わる

日露戦争に勝利した日本は対ロシアの南下政策で成果を得る。韓国を併合し、朝鮮における支配を強める。明治天皇崩御し、明治という激動の一時代が終わる。

目次
大韓帝国の実効支配
不平等条約の改正
明治天皇崩御

大韓帝国の実効支配
日露戦争中の1904年2月、日本は大韓帝国との間で「日韓議定書」を結び、韓国の独立を保障しながらも、日本軍の行動の自由などを認めさせる。日露戦争後の日本は、アメリカとイギリスの了承を得て、韓国から外交権を奪い、保護国とする。反発した韓国皇帝はオランダで開催されていた万国平和会議に訴えるが認められない。また、日本はこれまで対立していたロシアと「日露協約」を結び、相互の権益を承認。
 ※第4次までにわたり、第1次は1907年7月に調印
日本側からはロシアに対し、日本の朝鮮での権益を認めさせる。1909年、ロシア要人との会見のためハルビンを訪問中の伊藤博文が銃撃され死亡する。韓国併合に慎重であった伊藤が暗殺されたため、1910年、日本は韓国との間で韓国併合条約を結び「韓国併合」が行われた。

不平等条約の改正
 1911年、外相小村寿太郎が日米新通商航海条約を締結する。 通称・小村条約とも呼ばれる。これにより「関税自主権」を完全に回復する。江戸幕府からの負の遺産と言われた日米修好通商条約(1858)の不平等条約問題を解決したことになる。

明治天皇崩御
 日本にとって、日露戦争の勝利、韓国併合不平等条約の解消、明治天皇崩御という大きな出来事が続いた。なかでも不平等条約解消は重要課題の達成ともなった。明治天皇崩御は精神的支柱、求心力を失う形ともある。10年足らずの間に時代が大きく変わっていった。明治天皇崩御以降、天皇制は形を変えていく。
 大正以降は、政府の「内大臣」、宮中にて天皇を輔弼(ほひつ・サポートすること)する役割の重要性が高まる。大正天皇の体調や、世襲を前提とした際の対応も含まれると思われる。天皇を国の意思決定機関のトップとする天皇機関説が生まれるなど、天皇に集中する権力が薄まることになっていく。

<参考>
・世界史から読み解く日本史
日韓議定書 - Wikipedia
日露協約 - Wikipedia
韓国併合ニ関スル条約 - Wikipedia
不平等条約の改正 - 歴史まとめ.net
日米通商航海条約 - Wikipedia
明治天皇 - Wikipedia
内大臣府 - Wikipedia