1920年に国際連盟が発足した。その発足の経緯を見ていく。発起国のアメリカは参加しなかった。なぜ参加できなかったのだろうか。
・パリ講和会
・ヴェルサイユ条約
・国際連盟
・人種差別撤廃の提案
の順で紹介。
■パリ講和会議
ドイツを中心とする同盟諸国が1918年、イギリス、フランスのなどの連合国側に降伏した。これをもって第一次世界大戦が終結した。1919年1月よりパリで講和会議が開かれた。会議の成果として「ヴェルサイユ条約」が結ばれた。
■ヴェルサイユ条約
第一次世界大戦の講和条約である。1919年6月、パリ講和会議の結果として、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿鏡の間で調印された。ドイツに対して報復的な内容となっている。内容は多岐にわたるが、国際連盟規約、領土の処分、軍備の制限、戦争責任のあるドイツへの賠償金の支払い義務などが決まった。またアメリカ大統領・ウィルソンが提唱した「14カ条の平和原則」が審議され、ヴェルサイユ条約に取り入れられた。
なお、この「14カ条の平和原則」の内容とは
・国際連盟の創設(14条)
・民族自決の原則(10-13条)
・国境問題・領土紛争に関する調整(5-9条)
となっている。これにより第一次世界大戦後の国際秩序として、「ヴェルサイユ体制」が生まれる。
ちなみに「民族自決」とはそれぞれの民族のことは、その民族の意思によって、自主的に決定できる、とするものである。ドイツに対してはヴェルサイユ条約で、日本に対してはワシントン体制でそれぞれの進出を抑止した。
■国際連盟
国際平和のための世界組織が1920年に創設された。イギリス、フランス、イタリアと共に戦勝国となった日本も常任理事国となった。世界の平和ための組織としてその役割が期待された。アメリカ合衆国が参加できなかった。そもそも「14カ条の平和原則」を提案したのはアメリカであった。しかしモンロー主義によって議会から否決されてしまう。このため、参加がかなわなかった。
なお、モンロー主義とは、アメリカとヨーロッパ諸国の国家間の関係性において、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間では相互に不干渉としようとするもの。第5代大統領のジェームズ・モンローが1823年に発表した。この大統領の名前を取り、モンロー主義という。
一方、旧ソ連は遅れて1934年の加盟となった。しかしその後、フィンランドへの侵攻を行ったため、1939年12月に除名されることになる。なお、以下の国々も下記の年で脱退した。
・日本:1933年3月
・ドイツ:1933年10月
・イタリア:1937年12月
・スペイン:1939年5月
国際連盟にはいくつかの問題点があった
・全会一致の原則である
・武力制裁手段をもたない
・大国が不参加
などである。
アメリカや旧ソ連をはじめとする大国の不在から、国際連盟への信頼性は低下した。結局、国際連盟は、第二次世界大戦の発生を止めることができなかった。
■人種差別撤廃の提案
なお、日本はパリ講和会議にて「人種差別撤廃」の提案を行った。 賛成票が上回ったが議長・アメリカのウィルソン大統領の権限にて否決された。
なお、賛成は、日本、フランス、イタリア、ギリシャ、セルビア、クロアチア、チェコスロバキア、ポルトガル、中華民国
反対は、アメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニア
であった。
<参考>
・パリ講和会議 - Wikipedia
・ヴェルサイユ条約
・ワシントン会議
・十四か条の平和原則 - Wikipedia
・十四カ条/14ヵ条の原則
・モンロー主義 - Wikipedia
・国際連盟 - Wikipedia
・国際連盟加盟国 - Wikipedia
・人種的差別撤廃を国際会議で初めて提案したのは日本だった | 渡部昇一 | テンミニッツTV