シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

63.ヨーロッパ統合の軌跡とイギリスのブレグジット

イギリスがEUを離脱した。ドル、ユーロ、円、元と4つの基軸通貨の中で、ユーロ・EUはヨーロッパの国々どうしで結束力は固いものだとそう思っていた。しかし、歴史をふまえれば、一時そうであっただけで、実は様々な問題の上に成り立っていることがわかる。ここではEUの発展の歴史を次の流れで追う。

・EC・ヨーロッパ共同体の発足
・EEC、ECSC、URATOMの成り立ち
・拡大EC
EU:ヨーロッパ連合
・~2002年までの動き
EUの東方拡大
EUの拡大によって生じた新たな問題
EU憲法の否定
リスボン条約の成立
・~2013年の動き
・イギリスの離脱

■EC・ヨーロッパ共同体の発足
ECはEuropean Communitiesの略。ヨーロッパ共同体は1967年、フランス、ドイツ、イタリアとベネルクス3国の計6か国で発足した。次の3者が統合して結成された。
・①EEC:ヨーロッパ経済共同体
・②ECSC:ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体
・③EURATOM:ヨーロッパ原子力共同体

ベネルクス3国とは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク。その頭文字に由来。この3か国はいずれも国土が狭く、大国に対抗するため古くから緊密な政治的、経済的な協力関係を構築してきた。

■EEC、ECSC、URATOMの成り立ち
1970年代ECはアメリカ経済に対抗して、ヨーロッパ経済の協力機構として重要性を増していく。EEC、ECSC、URATOMの成り立ちをみる。

①EEC:

 西ヨーロッパ6カ国の市場統合を目指した共同体。1958年に発足。フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国の6ヵ国が加盟。経済的な国境を取り払い、共同市場の形成を目指した。

②ECSC:

石炭・鉄鉱石などの資源と工業施設の管理運営のための組織。1952年に発足した西ヨーロッパ6カ国による国際組織である。フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国が加盟。結成の目的は、共同体を通じて
・独仏間の軍事的な対立の回避
・独自の経済基盤を確保しアメリカへの依存体質の脱却
を目指すものであった。

③ EURATOM:
 原子力の共同開発と管理をめざす国際組織。1958年に発足。フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国の6ヵ国が加盟。

■拡大EC
1973年、イギリス、アイルランドデンマークが加盟し9か国となる。これで西ヨーロッパ主要国がそろった。それまでECはイギリスの加盟を拒否していた。しかし、
・1969年のイギリス加盟に反対だったフランスのド=ゴール大統領の退陣
・1973年の第一次オイルショック
という出来事もあり、イギリスの加盟を認めた。
1981年にはギリシア、1986年にはスペイン、ポルトガルが加盟し12ヵ国となった。この3か国の加盟は、軍事独裁政権が倒れ、民主化が進んだため。これでECが拡大してヨーロッパ主要国がまとまった。1970年代の世界のあり方を変え、アメリカ一極支配を弱めた。経済はアメリカ、拡大EC、高度経済成長を遂げた日本の3つの勢力が力を持った。

EU:ヨーロッパ連合
マーストリヒト条約の成立により、ECを継承してEUが誕生する。
・誕生の背景
 経済面のほか、政治面、安全保障面での意義が深まった。これには
 - 1989年の冷戦終結と1990年のソ連崩壊
   - 東西ドイツの統一
 によってヨーロッパの政治的、イデオロギー的な分断が消滅したため。

マーストリヒト条約
 ヨーロッパ連合条約ともいう
  - 共通の外交・安全保障政策を持つ
  - 単一通貨を導入して市場統合を行う
  - 各国の権限の一部をEUに移譲しヨーロッパ議会の権限を強化する
 などが定められている。

EUの役割
 経済統合にとどまらず、将来の政治的統合のため各国の主権を移譲した地域的国際機関を設置していく。EUは独自の主要機関を設置した
  - 欧州議会
  - 理事会
  - 委員会
 など 
 ベルギーのブリュッセルに機関を置いて活動を開始した。

■~2002年までの動き
・1995年にはフィンランドスウェーデンオーストリアが加盟、15ヵ国になった
・2002年、統一通貨ユーロの流通が始まったがイギリス、スウェーデンは導入を見送った。

EUの東方拡大
・2004年5月には10ヵ国が加盟した
・2007年1月にはブルガリアルーマニアが加盟した
 2004年5月に加盟した10か国はチェコ、スロヴァキア、ポーランドハンガリー、  スロヴェニアエストニア、ラトヴィア、リトアニア、そしてマルタ、キプロスであった。マルタ・キプロスを除く8か国はかつての東欧諸国の社会主義圏国である。これは次のことを意味する
 - 東西冷戦の「鉄のカーテン」で分断されていたヨーロッパがひとつになった
 - NATOと並んで安全保障面でもEUの役割が大きくなった

EUの拡大によって生じた新たな問題
 一方で、EUの拡大で様ざまな問題が生じた
 ①推進派・懐疑派の違いを生み出した
   推進派は、さらに政治的統合を強めたい派
   懐疑派は、巨大化、国家化により従来の国民国家の主権が失われてしまわないか
 ②加盟国内の格差が拡大
  加盟国間の格差
  移民の増大
  によるもの
 ③EU憲法制定の問題
 ④旧東欧諸国のEU加盟によるロシアの警戒
  ※結果、ロシア・ウクライナ戦争にもつながった

EU憲法の否定
2004年10月、ローマで「欧州憲法制定条約」が、「調印」まで行われた。2005年、フランスでは5月29日、オランダでは6月1日に国民投票が行われる。しかし両国では投票結果に基づいて批准を拒否、発効まで至らなかった。その背景には、2005年頃のトルコのEU加盟交渉があった。トルコの加盟によりEUでの経済危機などが懸念されたためだ。結果、
 ・EUの統合の必要性は認める
 ・しかし、統合によってひとつの国家同様の権力は持ちたくない
という考えが根底にあることがわかった。

リスボン条約の成立
 EU憲法の批准拒否を受け、より統合機能を高める修正が行われた。2007年には「リスボン条約」を調印、これは実質的な憲法の役割を持つ基本条約とされた。2009年の末には全加盟国が批准し、施行された。これにより経済統合に加え、ヨーロッパ共通の課題に取組む機関として
 - (従来) 欧州議会
 - (従来) 欧州委員会
 - EU大統領(通称)
 - EU外務・安全保障上級代表  ← 共通の外交課題の窓口

が置かれた

■~2013年の動き
2007年にはルーマニアブルガリア、2013年にはクロアチアが加盟し、東ヨーロッパへの拡大が進んだ。これで加盟国は28ヵ国となった。なお、西ヨーロッパ圏での非加盟国は、スイスとノルウェーのみである。

■イギリスの離脱
 EUの理念や加盟のメリットを認めるが国家化、巨大化、強大化に対する疑問、懐疑が加盟国内でくすぶっていった。特にイギリスでヨーロッパ統合から距離を置いていた「懐疑派勢力」が増大していた。 2016年の国民投票で離脱票がわずかながら上回った。EU各国に衝撃が走った。2019年に正式に離脱を決定した。2021年に完全離脱となった。加盟国が1つ減り、27ヵ国となった。イギリスの離脱、ブレグジットは"British" と "exit" の混成語。

イギリスは海洋国家、シーパワーの国。日本も同様。本来的に大陸からの影響を受けながらも地理的に離れ自国で思うように振る舞いたい(振舞ってきた)、歴史のある国なのだ。

<参考>
ベネルクス - Wikipedia
ヨーロッパ経済共同体/EEC
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体/ECSC
ヨーロッパ原子力共同体/EURATOM
イギリスのEC加盟
拡大EC
ヨーロッパ連合/EU
マーストリヒト条約
EUの東方拡大
鉄のカーテン
EU憲法/リスボン条約
イギリスの欧州連合離脱 - Wikipedia
【図解】EU 拡大からブレグジットまで 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News