シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

102.貝塚と縄文海進と海岸線、地球と太陽に関係する法則まとめ

昔の海岸線は今と違っていたという。その研究は貝塚の分布がちょっとおかしいとの疑問から研究が始まった。「縄文海進」の研究でわかった「昔の海岸線」について紹介する。また最下段で、当記事をふまえた地球と太陽に関係する法則をまとめた。

次の流れで紹介
貝塚
・縄文海進とは
・まとめ
・太陽と地球の関係性によって起きる現象のまとめ

貝塚
日本における貝塚の数はどれくらいだろう。まず遺跡の数は2013年時点のデータによれば「46万5千か所」。そのうち「貝塚」は3,946か所だそうだ。その貝塚の分布状況に疑問をもった研究者がいた。貝塚は海岸付近で多くなるはずだ。しかし調べてみると海岸でない場所でも多い。そこで標高に着目してさらに調査を行った。下記サイトは、関東において標高10m未満の場所がわかるように色付したものが紹介されている。さらにその地図に対し貝塚の分布がわかるようにされている。これをみるとどうだろうか。貝塚の分布と標高10m未満の場所が一致していることがわかるという。つまり、昔はもう少し海岸付近は海の場所が多かったということ。
参考①:DIAMOND ONLINE より↓
diamond.jp参考②:日本の貝塚一覧↓
日本の貝塚一覧 - Wikipedia

■縄文海進とは
縄文海進は7,000年前頃(紀元前およそ5000年)の縄文時代、現在に比べて海面が2~3m高くなっていて日本各地で海水が陸地の奥へと浸入した現象。とまり、これはミランコビッチサイクルによる日射量の法則から説明が可能だ。地球は一定の周期で氷河期、間氷期を迎える。これによって寒くなって海水が氷となってさらには氷床が拡大したり、あるいは溶けて融解したりして海水の体積が変化する。縄文海進の時代、7,000年前頃は日本は温暖だった。このためシンプルな発想としてはまずは氷床が融解して海面が上昇。その後は寒冷化し氷床が拡大と考えられる。しかし実際は、北アメリカ大陸ヨーロッパ大陸に残っていた氷床、その地形、世界中の海岸の地形が影響して決まってくるとされる。
参考①:wikipedia
縄文海進 - Wikipedia
参考②:日本第四紀学会 縄文海進の原因に関する質問と回答あり↓
http://quaternary.jp/QA/answer/ans010.html

■まとめ
ミランコビッチサイクルによって日射量が変わり氷床が増減する
・これにより海水面が増減、水深が変化する
・ただしそれは地形、海岸線などの場所や時代によって異なる

■太陽と地球の関係性によって起きる現象のまとめ
これまでの記事を次のようにまとめた
1.地球はコマに例えられる
2.地球の自転、公転、地軸とコマの原理から歳差運動が起きる
3.太陽と地球の歳差運動によりミランコビッチサイクルによって日射量が決まる
4.また日射量や角度によって地球は氷期間氷期を繰り返す、水深も変わる
5.類似したガイアの法則があり、西回り、東回りで文明のパワースポットが遷移する
6.地上の人たちの活動も影響を受け、文明法則史学に説明される西洋文明、東洋文明の1611年周期の交代が起きる