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143.秦の始皇帝陵はピラミッドなのだろうか?

秦氏は秦の始皇帝の子孫であるとの伝承がある。真偽は別として始皇帝とは何者か、始皇帝を支える勢力がいかほどの技術をもっていたかを知る必要がある。次の流れで紹介していく。

始皇帝
始皇帝の政治
始皇帝の土木事業
・秦の始皇帝
始皇帝の測量技術
兵馬俑
始皇帝の父
呂不韋(りょふい)
・徐福
・徐福伝説
始皇帝秦氏との関係

始皇帝
紀元前259年- 紀元前210年の人物。中国の初代皇帝。それまでの「王」の称号を「皇帝」に改めた。さらにその始まりのため、「始皇帝」となった。

始皇帝の政治
政治では封建制から中央政権、官僚による統治的な郡県制への政治改革を行った。その全国各地を同レベルで国家運営するため、法家の思想、「公正」や「信賞必罰」を基にしたルール作りを行った。また国家単位での貨幣や計量単位の統一を行った。

始皇帝の土木事業
運河事業や、道路整備などを行ったとされる。万里の長城の整備を行った。これは紀元前7世紀頃より築かれ始め、始皇帝はそれをつないだとされる。また、秦の始皇帝陵の建設を行った。

■秦の始皇帝
中国の始皇帝陵は1974年に発見された。中国の中国陝西省(せんせいしょう)西安(せいあん/シーアン)の北東30kmに位置する。紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されている。即位した13歳の直後から亡くなった49歳前後まで造営されていたとされる。周囲は2000メートル、高さは76メートルある。盗掘を防止する罠がある。副葬品が埋葬されている。ピラミッドの仕掛けと同様となっている。
↓下記リンクで始皇帝陵の画像が確認できる。ぜひ確認してほしい。
【第2回】始皇帝陵 兵馬俑が守ろうとした「世界」とは? (THE PAGE) - Yahoo!ニュース

始皇帝の測量技術
「多衛星データを用いた秦帝国の空間的考察」による研究によって「帝国の都市や施設が方位計測を用いたグランドプランによって計画的に配置され、驪山、烏拉山、孔望山、黄河、および汧水がその基準地点となっていた」可能性が示されている。
下記をクリックするど論文がダウンロードされる↓
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3563&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

兵馬俑
兵馬俑坑は秦の始皇帝陵の東側1.5kmに位置する陪葬墓(ばいそうぼ)。陪葬墓とは主君を埋葬した墳墓の近くに近臣たちを埋葬すること。兵馬俑に焼き物技術、文化がみられる。現在約8千体が発見されている。像の大きさは175cm-190cmとされ、人間の実物大である。
↓以下はyahooニュースより

news.yahoo.co.jp

始皇帝の父
父は子楚とされる。呂不韋という商人がこの子楚のパトロンとして生活を支えたとされる。この呂不韋始皇帝の父とする説があり、後漢時代の班固も「漢書」にて始皇帝を「呂不韋の子」としている。呂不韋を父とすると誕生日において矛盾が生じるとして否定する説もみられる。

呂不韋(りょふい)
(不明)- 紀元前235年の人物。趙の商人。各国を渡り歩き、塩や武器を売って富を築いたとされる。「ロフイ」はヘブライ語で「癒し手」あるいは「神の絆」の意味があるとされる。

■徐福(じょふく)
秦の始皇帝に仕えた方士。
実在の人物。
出身の村も特定されている。
方士とは、中国において紀元前3世紀から西暦5世紀にかけて瞑想、占い、気功、錬丹術、静坐などの方術によって不老長寿などを成し遂げようとした修行者のこと。
史記」巻百十八「淮南衡山列伝」に徐福の記述がある。
それによれば秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」として、始皇帝の命を受けて3,000人の若い男女と多くの技術者を従えて、財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出する。
しかし三神山には到らず平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかったとされる。

■徐福伝説
紀元前3世紀頃の中国の秦の始皇帝の時代に、大挙して日本に渡ってきた人たちがいたとするのが「徐福」伝説である。
下記サイト「徐福伝説」で伝承とその地域が紹介されている。
参考①:http://inoues.net/mystery/jyofuku.html
次のサイトでは、徐福伝説のある地域が海流とともに地図で示されている。

参考②:徐福伝説
仮に伝説ではなく実際に来ていたとする場合、徐福は北部九州あたりにきていたのであろうか。

始皇帝秦氏との関係
秦氏は、徐福と同じように、秦の始皇帝の圧政に苦しみ、朝鮮半島に逃れたとされる。百済経由で古墳時代に渡来したとされる。

■感想
・徐福を理解するには道教や神秘思想、不老長寿などを理解する必要があると思われる。
・仮に秦氏朝鮮半島に逃れたとすると、そのあとどう発展していったのだろうか。

<参考>
・図解眠れなくなるほど面白い始皇帝の話
始皇帝の地下宮殿
始皇帝 - Wikipedia
呂不韋 - Wikipedia
秦の統一戦争 - Wikipedia