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241.古代の宮㉕~雄略天皇(十四):秦造酒と太秦の由来~

今回はシリーズ第25弾、雄略天皇・14回目を紹介する。秦造酒、太秦の由来が登場する回。次の流れで紹介していく。

目次
・秦造酒(はだのみやつこさけ)
・禹豆麻佐(うつまさ)の由来
・国県(くにあがた)に桑を植えさせる

■秦造酒(はだのみやつこさけ)
即位15年。
秦の民(はだのたみ)を臣連(おみむらじ)たちに分散し、おのおのの願いのままに仕えさせた。
秦造(はだのみやつこ)に委(ゆだ)にしめず。
これによって秦造酒(はだのみやつこさけ)はそれを憂い、天皇に仕えていた。
※秦造は秦の民の管理者たる伴造

秦造酒を天皇は愛び寵み(寵愛、ちょうあい)していた。
詔(みことのり)し、秦の民を集合させ、秦酒公(はだのさけのきみ)にたまわった。
↓はwikipedia、秦酒公

ja.wikipedia.org

■禹豆麻佐(うつまさ)の由来
秦酒公は百八十種勝(ももあまりやそのすぐり ※1)を率いて、庸調(ちからつき、租税としてつくられた絹など)の絹縑(きぬかとり)をたてまつって、朝庭(ちょうてい、長方形の広大な屋外空間)に充積(つ)み上げた。
これより姓(かばね)を賜り、禹豆麻佐(うつまさ)と言うようになる。あるにいわく「禹豆母利麻佐(うつもりまさ)※2」というのはみな盛り積んだ形のこと。

※1 百八十種勝:百八十種(ももやそ)は多種多様の意、勝は下級管理職ではないかとされる。
※2:禹豆麻佐:京都市右京区、現在の太秦

■国県(くにあがた)に桑を植えさせる
即位16年7月(秋)。
詔(みことのり)し、桑に良き国県(くにあがた)に桑を植えた。
また、秦の民を散らせて遷(うつ)し、庸調(ちからつき)を献上させた。

■感想
・即位15年は秦造酒、太秦、桑(養蚕のため蚕に食べさせるためか)が示された回。
・「八十神」は日本神話に登場する神々の総称。氏の登場の条にて音韻に「やそ」が入る。キリスト教は古来、耶蘇教と呼ばれていた。耶蘇は中国語で「エースウ」と発音され、イエスの当て字である。偶然か、意図的か。
・禹豆麻佐(太秦)は秦氏が開拓、その後反映した土地。「秦氏」はその後の太秦の発展をみた場合の都市計画技術をみても秦の始皇帝と関わりがあった一族の末裔とみて間違いないだろう。始皇帝陵、兵馬俑といったピラミッドに類似する陵墓、写実的な彫刻が突如になぜ中国の西側に出現したのかに関わるだろう。

<参考>
日本書紀(三)岩波書店