ソ連は1979年、アフガニスタンに侵攻を開始した。この戦争は1989年まで続いた。莫大なコストをもたらし、ソ連崩壊の原因にもなった。ここでは、ソ連がアフガニスタンにどう関わったかを見ていく。次の流れで紹介してく。
・アフガニスタン侵攻
・ソ連のアフガニスタン侵攻(1979-1989)の背景
・ソ連のアフガニスタン侵攻がもたらしたもの
■アフガニスタン侵攻
このアフガニスタンには、のち、アメリカも部隊を送った。しかし、アメリカも結局は撤退することとなった。アフガニスタンは他民族国家であり、また伝統もある国である。そして貧困にあえぐ人たちが多く、難しい地域である。このような社会に欧米型の考えを押し付けたり、武力で制圧したとしても成功には至らない。その土地の人びとの幸せにはならない。
1979年、ソ連のブレジネフ政権が、アフガニスタンの親ソ政権を支援した。イスラム原理主義ゲリラを抑えるため、アフガニスタンに侵攻した。
ソ連の目的は
・共産政権の維持
・イスラム民族運動の抑圧
であった。ソ連は当初、出兵の戦力としてトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどの国々の兵隊を主力として構成していた。しかし、その相手の兵隊たちは民族的にも近かった。そしてソ連兵側にもイスラム教徒が多かった。このような状況から、ソ連兵たちは侵攻への大義も薄く、戦闘意欲の低下を招いた。ソ連兵は次々とゲリラ側に寝返った。
■ソ連のアフガニスタン侵攻がもたらしたもの
1988年、ゴルバチョフ政権が撤退を決定した。翌1989年には撤退が完了した。このソ連のアフガニスタン侵攻により、次の結果をもたらした。
・戦争により多くの難民を発生させた
・1991年にはソ連が崩壊した
・イスラム原理主義を精神的支柱とする、新たな民族主義の台頭をもたらした
そしてアフガニスタンはテロの温床ともなった。2001年の9.11同時多発テロ発生の遠因となった。
<参考>
・アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia
・ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退