シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

61.アフガニスタンへの侵攻に失敗したソ連

ソ連は1979年、アフガニスタンに侵攻を開始した。この戦争は1989年まで続いた。莫大なコストをもたらし、ソ連崩壊の原因にもなった。ここでは、ソ連アフガニスタンにどう関わったかを見ていく。次の流れで紹介してく。

アフガニスタン侵攻
ソ連アフガニスタン侵攻(1979-1989)の背景
ソ連アフガニスタン侵攻がもたらしたもの

アフガニスタン侵攻
このアフガニスタンには、のち、アメリカも部隊を送った。しかし、アメリカも結局は撤退することとなった。アフガニスタンは他民族国家であり、また伝統もある国である。そして貧困にあえぐ人たちが多く、難しい地域である。このような社会に欧米型の考えを押し付けたり、武力で制圧したとしても成功には至らない。その土地の人びとの幸せにはならない。

ソ連アフガニスタン侵攻(1979-1989)の背景

1979年、ソ連のブレジネフ政権が、アフガニスタンの親ソ政権を支援した。イスラム原理主義ゲリラを抑えるため、アフガニスタンに侵攻した。
   ソ連の目的は
     ・共産政権の維持
  ・イスラム民族運動の抑圧
であった。ソ連は当初、出兵の戦力としてトルクメニスタンウズベキスタンタジキスタンなどの国々の兵隊を主力として構成していた。しかし、その相手の兵隊たちは民族的にも近かった。そしてソ連兵側にもイスラム教徒が多かった。このような状況から、ソ連兵たちは侵攻への大義も薄く、戦闘意欲の低下を招いた。ソ連兵は次々とゲリラ側に寝返った。

ソ連アフガニスタン侵攻がもたらしたもの
 1988年、ゴルバチョフ政権が撤退を決定した。翌1989年には撤退が完了した。このソ連アフガニスタン侵攻により、次の結果をもたらした。
・戦争により多くの難民を発生させた
・1991年にはソ連が崩壊した
イスラム原理主義を精神的支柱とする、新たな民族主義の台頭をもたらした

そしてアフガニスタンはテロの温床ともなった。2001年の9.11同時多発テロ発生の遠因となった。

<参考>
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia
ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退