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382.十字の石室を持つ広島県福山市の尾市古墳(十字古墳)

前々回にて十字の冠が出土した上塩冶築山古墳、前回にてメノラーと十字の中間のようなデザインのある金銅製冠帽が出土した善通寺市の王墓山古墳を取り上げた。今回は石室が完全な十字の形をしている広島県福山市の尾市古墳(十字古墳)を取り上げる。次の流れにて紹介していく。

・尾市古墳(十字古墳)
・被葬者について
・吉備の分割

■尾市古墳(十字古墳)
所在は広島県福山市新市町大字常。
尾市古墳群の古墳の1つ。
石室の平面が十字の形をしている。
現時点でこの構造は全国で唯一とされる。
形状は八角墳の可能性が高いとされる。
対角長で15m。
墳丘の裾からやや上側に対角長12mの列石がめぐる箇所があるという。
築造は7世紀後半。
大きさは直径10.5m。
終末期古墳にあたる。

↓はwikipedia、尾市古墳の石室の形

ja.wikipedia.org

↓はgooglemap、尾市1号墳

maps.app.goo.gl

■被葬者について

被葬者は一説では石川王の墓とされる。
石川王は敏達天皇皇子の難波皇子の子とする系図があるという。
石川王は天武天皇(在位673年~686年)の治世下、吉備大宰を務めていた皇族。

■吉備の分割
689年持統天皇3年)のこと。

吉備国飛鳥浄御原令の発布によって
備前国
備中国
備後国
に分割される。

そして713年(和銅6年)には備前国の内陸部が美作国として分立。

日本書紀風土記続日本紀にて吉備国守、吉備大宰、吉備総領という官職がみられるという。

■まとめ
・尾市古墳は石室の形から十字古墳とも呼ばれる
・形式は八角墳の可能性
・大きさは直径10.5m
・築造は7世紀後半、646年の簿葬令(はくそうれい)発布後にあたる
・また形状は八角墳と推定されている
八角墳は天皇ないしは皇族にみられる古墳
・被葬者は不明だが、一説では敏達天皇皇子の石川王
・石川王は天武朝において吉備大宰を務めた人物

<参考>
尾市古墳(十字塚)|新市町観光協会
尾市1号墳 - Wikipedia
石川王 (吉備大宰) - Wikipedia
吉備国 - Wikipedia