2023年3月2日、エジプトで世界最大のピラミッドとされるクフ王のピラミッド内部に謎の空間が発見されたというニュースが流れた。186年ぶりの大発見と言われている。再びピラミッドに注目が集まっている。これまで日本の巨石文明やアンデス・インカのピラミッドをみてきた。ここではエジプトとスーダンのピラミッドについて調べる。
目次
・186年ぶりの空間発見
・ミューオンによる調査
・ミイラや副葬品は発見されず
・メレルの日誌
・ギザの3大ピラミッド
・豆知識・クフ王のピラミッドと数学
・ピラミッドの数はエジプトとスーダンでどちらが多いか?
・レプシウスNoとは?
・まだまだ残る疑問点
■186年ぶりの空間発見
上記クフ王のピラミッド内部に空間が発見されたとのニュースでは、国際調査チームが編成されている。エジプト、日本、フランス、ドイツなどが共同で8年前から調査をおこなっていたもので、謎の空間がみつかったという。さらにまだもうひとつ別の空間が存在することがわかっているとのことだ。
↓NHKによる報道はこちら
www3.nhk.or.jp
■ミューオンによる調査
ミューオンは宇宙から降り注ぐ素粒子。素粒子は光の粒であり波である。性質としてさまざまな物質を通り抜けることができる。ただし岩など密度が高い物質では通り抜ける粒子の数が少なくなる。この性質を利用してピラミッド内の空間発見を行っているという。通り抜けてくるミューオンの量の違いを使って内部の空間の有無を透視させるというもの。いわばレントゲン写真の進化版である。
■ミイラや副葬品は発見されず
今回もミイラや副葬品などの発見はなかった。現在ピラミッドの建造目的が必ずしも王などの埋葬のためではないことがわかってきている。王権を権威づけるための埋葬もあれば、公共事業、そしてそれ以外の可能性があるということ。
どんな説があるかは下記サイトが詳しい↓
ピラミッドは王墓か否か。古代の謎に想いを馳せる。 | タカラゼミ
■メレルの日誌
約4,600年前に書かれた石の運搬を担当したとされる労働者リーダーの男性の日誌が「メレルの日誌」。2013年3月に見つかったとされる。エジプトのワディ・アル・ジェルフで何百にもおよぶパピルス紙の破片が見つかった。考古学者が解読したところ約4600年前に書かれたものだった。「メレル」という男性のもので、ギザの大ピラミッド建造に関連する出来事の内容ということがわかった。
■ギザの3大ピラミッド
約4500年前の、紀元前2500年頃の建造とされる。いずれもエジプト第4王朝に建設されたとされる。3つあり、メンカウラー王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、クフ王のピラミッド。クフ王のピラミッドの高さは146.6m(現在は138.8m)、底辺の長さは約230m。つぎにカフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの中央に位置し、高さは約136メートル(頂上部分が一部崩れ、建造当時より低い)。メンカウラー王のピラミッドは三大ピラミッドの中ではもっとも小さく高さは約65メートル。
↓下記を参考
NHKテレビ「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」を見て(その1) | JINさんの陽蜂農遠日記 - 楽天ブログ
■豆知識・クフ王のピラミッドと数学
クフ王の大ピラミッドでは、円周率「π・パイ」が使われている。ピラミッドの周の長さが、高さの2×π倍であるというもの。ギリシャの歴史家ヘロドトスが紀元前5世紀頃にエジプトを訪れた際、神官よりクフ王の大ピラミッドは「側面の三角形の面積がピラミッドの高さの平方に等しくなるように造られている」と教えられたと言わている。
参考は以下↓
数から見るピラミッド | 時習館 ゼミナール・高等部
■ピラミッドの数はエジプトとスーダンでどちらが多いか?
エジプトの3大ピラミッドのイメージが強すぎて、それ以外のピラミッドに目がいきにくい。そこで、エジプト、そして隣のスーダンでどれくらいピラミッドが存在しているかを調べた。どちらのほうが数が多いだろう?調べてみたところ、
・エジプト:138個(2008年時点)
・スーダン:255個
となった。意外に、スーダンの方が多い。
参考①:エジプトのピラミッドがリスト化されて掲載されている。
ピラミッドに「レプシウスNo」というものを振った人がいる。
エジプトにピラミッドは幾つある? ―エジプトピラミッド全リスト(日本語/一覧)
参考②:スーダンの方がピラミッドが多い↓
文化遺産の世界:スーダンの文化遺産「エジプトよりも多くのピラミッドのある国、スーダン」:https://www.isan-no-sekai.jp/report/2097
■レプシウスNoとは?
エジプト学者ドイツ人のレプシウスが1842年、ピラミッドをカウントする際に割り振った番号。1842年時点でピラミッドとして記録されたものを対象としている。当時は67基であった。
参考:カール・リヒャルト・レプシウス - Wikiwand
■まだまだ残る疑問点
建造時期や建造方法について、まだ建造の目的はわかっていない。また”隙間なく”積み上げる方法がどのように当時の技術で行われたかはわかっていない。また時期についてもはじめてつくった時期なのか、保守している時期が測定されているかもわからない。たとえば大阪城の天守閣などのように、いったん焼け落ちて復元されたものの年代を測定しているなどということはないのだろうか。
■感想
・クフ王のピラミッドのまだ残る謎の空間には何があるのだろう
・スーダンのほうがピラミッドの数が多い
・ナイル川流域でスーダンというあまり知られていないピラミッド文化があった