シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

147.七支刀に象徴される古代日本と百済の関係

前記事では朝鮮半島における伽耶連盟の存在と372年に百済王より七支刀が倭王に送られたことを紹介した。今回はその「七支刀」をキーワードとし、古代日本史を探っていく。

■七支刀(前記事より再掲)
七支刀は石上神宮(いそのかみじんぐう)に納められている。石上神宮奈良県にあり、大和朝廷の武器庫とされる。
↓以下で七支刀の画像が確認できる

www.tnm.jp

■メノラー(メノーラ―)
メノラーとはろうそく台で、ユダヤ教の象徴的存在である。元はシュメール文明における生命の樹から来ているとされ、セフィロトの樹とも呼ばれる。セフィロトの樹は旧約聖書の創世記にエデンの園の中央に植えられた木であり、命の木と訳されることも。生命の樹の実を食べると神に等しき永遠の命を得ることができるとされる。
↓以下でメノラーの画像が確認できる

ja.wikipedia.org

↓以下で生命の樹(セフィロトの樹)が確認できる
ja.wikipedia.org■七枝刀に銘文された文字
七支刀には「11月16日丙午」という日付と干支が銘文されている。4世紀から6世紀にかけての間にて11月16日で干支が丙午にあたるのは腆支王(てんしおう)四年、西暦408年とされる。

■腆支王:在位:405年 - 414年
腆支王は百済の第18代の王である。倭国の女性、八須夫人と結婚した。子供として久尓辛王(くにしんおう)が生まれ、のちに百済の第19代王となった。韓国の建国大学、古代史学者の洪性和らによると、百済から倭王へ七支刀が贈られた理由は、この百済人と倭人の間に子供が生まれたことを祝したものではないかとされる。腆支王は394年に太子となったのち、397年に倭国に人質として派遣された。幼少期に日本に送られたものであり、実際は人質というよりも太子を保護あるいは同盟のための人質的な外交政策の一環とみなすのが妥当と考えられる。

■まとめ
・シュメールのセフィロトの樹とユダヤのメノラーが類似
ユダヤのメノラーと百済の七枝刀が類似
石上神宮に収められた七枝刀に銘文された「11月16日丙午」は408年
・八須夫人は倭人とされており第18代百済王・腆支王の夫人
・腆支王は日本で過ごした経験を持ち405年には第18代王として即位。この腆支王と八須夫人の子「久尓辛王」の誕生を祝して七枝刀を倭国に献上したとする説あり。久尓辛王はのちに第19代王となる。
<参考>
腆支王 - Wikipedia
八須夫人 - Wikipedia