過去回にて古代インドとのつながりを紹介した。今回は香川県の金刀比羅宮を取り上げる。なぜ仏教渡来後、インドの神々を祀る信仰があるのだろうか。関連する象頭山(そうずさん)からインドと古代日本とのつながりを記す。次の流れで紹介していく。
・金刀比羅宮(こんぴらぐう)
・金刀比羅宮の経緯
・本地垂迹(ほんじすいじゃく)
・象頭山(そうずさん)
・象頭山・松尾寺
・役小角(えんのおづの)
・金毘羅は鰐の神、クンビーラ
■金刀比羅宮(こんぴらぐう)
通称は「さぬきのこんぴらさん」。
所在は香川県仲多度郡琴平町。
本宮は琴平山(別名、象頭山)の中腹にある。
全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社の総本宮。
祭神は
・大物主命
・崇徳天皇(第75代天皇、在位:1123年~1142年)
とされる。
↓wikipedia、金刀比羅宮
■金刀比羅宮の経緯
初めは大物主神を祀っており、途中「琴平神社」と称したとされる。
その後、本地垂迹説(ほんぢすいじゃくせつ)の影響で金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称。1165年(永万元年)に相殿に崇徳天皇を合祀した。
金刀比羅宮の創建自体は社伝によると1001年とされる。
清少納言が枕草子を完成させた時期と同じ頃となる。
■本地垂迹(ほんじすいじゃく)
仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想のひとつ。
神道の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとするもの。
どの神がどの仏に比するのかというものがある。
それが正しいか正しくないかはさておき、ギリシャ系の神々と日本の神々に類似性がみられる。
また、日本は神道(アニミズム)を素地としつつ、おそらくユダヤ人の渡来から原始キリスト教≒ユダヤ教、そして6世紀頃には儒教、道教、仏教、16世紀にはキリスト教を受け入れてきた。
その一方、日本の神が外国に出ているかのような思想の一致も考えられる。例えば、光一元という神道の思想とアメリカのプラグマティズムには類似性があるように思う。
↓プレジデントオンライン、プラグマティズムと日本的思考の違いが表でまとめられている。
■象頭山(そうずさん)
標高538m。
山の名前は琴平街道から眺めた山の形が象の頭に似ている。
釈迦が千人の弟子に説法をしたと云われるインドの伽耶山が象頭山と呼ばれる。
※インド中部の伽耶の西方ブラフマヨーニ山は象頭山(ガヤーシールシャ)と呼ばれる。和名が伽耶山。
これらから象頭山と呼ばれたと考えられる。
象頭山は、古来より瀬戸内海航路の海の目印とされた。
このため、航海の安全のための「海の神様」として現在も親しまれている。瀬戸内海の要衝のひとつであり、物見やぐら的な立地、役割にあったと考えられる。
↓wikipedia、象頭山
■象頭山・松尾寺
金刀比羅宮と同じ象頭山、香川県仲多度郡琴平町にある。
高野山真言宗の寺院。
創建は701年~704年の間とされる。
701年は大宝律令がつくられた時期。
開基は役小角(えんのおづの)。
↓はgooglemap、象頭山
■役小角(えんのおづの)
実在の人物。
加茂役君、賀茂役君(かものえんのきみ)とも。
生没年は634年~701年とされる。
三輪系の氏族に属する。
続日本紀・文武天皇三年五月丁丑条(西暦699年)に役小角の記載がある。
↓はwikipedia、役小角
■金毘羅は鰐の神、クンビーラ
象頭山松尾寺の縁起に次の伝承があることが示されている。
・大宝年間に修験道の役小角が象頭山に登った
・その際、天竺霊鷲山に住する護法善神である金毘羅(クンビーラ)の神験に遭い、これにより開山した
金毘羅こと宮比羅(くびら)は、仏教の水運の神。
梵語でクンビーラ、キンビーラ。
薬師如来十二神将の筆頭とされる。
ヒンドゥー教のガンジス川の鰐の神であるクンビーラが仏教に取り入れられ、宮比羅大将となった。
古事記の成立は712年、日本書紀は720年。
記紀に登場するワニとは。
サメではなく、ワニを示している可能性が大きい。
ただし、日本書紀は日本オリジナルの神話をつくりたかったわけであるため、ワニという用語は海神を示したく、ワニともサメともどっちともとれるように用いているかもしれない。
■まとめ
・松尾寺、金刀比羅宮は香川県の象頭山に位置
・松尾寺は役小角が開基、701年~704年頃のこと
・金刀比羅宮は1001年頃の創始
・金刀比羅はクンビーラ、ガンジス川の鰐の神
・釈迦が千人の弟子に説法をしたと伝わるのが伽耶山である象頭山
・インドのブラフマヨーニ山は象頭山(ガヤーシールシャ)と呼ばれる
ゆえに
・古代インドのガヤとは聖地もしくは象頭山
・古事記や日本書紀のワニはサメと解釈されて物語が描かれている場合があるがワニそのものの可能性が高い