古代朝鮮は地政学上、様ざまな人種の結節点であったと考えられる。過去記事にて倭国と関係のあった伽耶や任那を取り上げた。今回は金官伽倻の王たちやDNAの解析結果を示しながら伽倻と古代インドとのつながりを示す。これより伽耶とは聖地を示すGayaであったのではないかということを示す。下記の流れで紹介していく。
・伽耶連盟の構成国
・初代・首露王(しゅろおう)
・許黄玉(きょ こうぎょく)
・第2代・居登王(きょとうおう)
・第3代・麻品王(まひんおう)
・第4代・居叱弥王(きょしつびおう)
・第5代・伊尸品王(いしひんおう)
・第6代・坐知王(ざちおう)
・第7代・吹希王(すいきおう)
・第8代・銍知王(ちつちおう)
・第9代・鉗知王(かんちおう)
・第10代・仇衡王(きゅうこうおう)
・インドと韓民族のつながりを示すDNA解析結果
・アヨーディヤー(アワド)
・仏教の伝来とガヤ
・伽耶と金官伽耶
■伽耶連盟の構成国 ※過去記事より転用
伽耶の構成国は大きく6つにわけることができる。
①金官国・大加羅:伴跛。「魏志倭人伝」の狗邪(くや)韓国。製鉄を行っていた。
②安羅加羅:慶尚南道咸安郡
③古寧加羅:慶尚北道尚州市咸昌
④星山加羅:慶尚北道星州郡
⑤小加羅:慶尚南道固城郡
⑥それ以外の小国:多羅(慶尚南道陜川郡)、卓淳(慶尚南道昌原市)、己汶(全羅北道南原市)、滞沙(慶尚南道河東郡)など
↓過去記事で伽耶連盟の構成国を紹介
↓wikipedia、伽耶、伽耶や任那の位置や範囲が確認できる
続いて金官伽倻の王たち、初代~10代までの王を紹介していく。
西暦42年~532年までの約490年間、10名の王となる。
■初代・首露王(しゅろおう)
在位を42年~199年とする。
金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王。
妃は阿踰陀(あゆだ)国の王女、許黄玉(きょ こうぎょく)とされている。
阿踰陀はインドのアヨーディヤーの可能性が最有力。
出生に関して天から亀旨峰(クジボン)に6個の金の卵が降臨、首露王が生まれたとする。卵生神話を持つ人物。
↓はwikipedia、首露王
■許黄玉(きょ こうぎょく)
首露王の妃。
阿踰陀(あゆだ)国の王女とされる。
阿踰陀国の候補はいくつかあるがインドのアヨーディヤーの建築の紋章と首露王陵の正門の大梁に刻まれた双魚文様が同じである。このためアヨーディヤーとする説が最有力。
↓はwikipedia、許黄玉
↓釜山ナビ、「神魚像」から首露王陵の双魚が画像にて確認できる
www.pusannavi.com
■第2代・居登王(きょとうおう)
在位は199年~259年。
首露王と許王后の間の10人の息子のうち一人。
王妃は慕貞(ぼてい)。
慕貞はサータヴァーハナ朝から伽耶に渡来した官職泉府卿の申輔(しんほ)の娘とされる。
※居登が「いと」と読めること、60年という六十干支の一巡と同じ在位年が気にかかる。
■第3代・麻品王(まひんおう)
在位は259年~291年。
父は居登王、母は慕貞(ぼてい)。
王妃は好仇(こうきゅう)。
好仇はサータヴァーハナ朝から伽耶に渡来した官職宗正監の趙匡(ちょうきょう)の孫娘。
趙匡は金官伽倻の建国時に諸王に仕えたとされる重臣。
■第4代・居叱弥王(きょしつびおう)
在位は291年~346年。
父は麻品王。
母は好仇。
妃は阿志。
■第5代・伊尸品王(いしひんおう)
在位は346年~407年。
父は居叱弥王。
母は阿志。
王妃は貞信。
なお同時代の346年、百済の王が契王(在位344年~346年)から近肖古王(346年~375年)に交代している。
■第6代・坐知王(ざちおう)
在位は407年~421年。
父は伊尸品王。
母は貞信。
王妃は福寿。
傭女(やといめ)を側室として迎え入れた。
そしてその一族を多数官職に就けた。
これにより国政が乱れたとされる。
■第7代・吹希王(すいきおう)
在位は421年~451年。
父は坐知王。
母は福寿。
王妃は仁徳。
■第8代・銍知王(ちつちおう)
在位は451年~492年。
父は吹希王。
母は仁徳。
王妃は邦媛。
■第9代・鉗知王(かんちおう)
在位は492年~521年。
父は銍知王。
母は邦媛。
王妃は淑。
■第10代・仇衡王(きゅうこうおう)
金官伽倻の最後の王。
在位は521年~532年。
父は鉗知王。
母は淑。
王妃は桂花。
子に金奴宗、金武徳、金武力。
金官伽倻は520年代後半に新羅の将軍、異斯夫(いしふ)らの侵攻を受け532年に降伏。
その後は妻子とともに新羅の王都に遷された。
貴族である真骨身分と金姓(新金氏)を与えられた。
■インドと韓民族のつながりを示すDNA解析結果
2004年時点での発表によればソウル大医学部と翰林(ハンリム)大学医学部の2人の教授により次の発表がなされている。
・金首露(キム・スロ)王の夫人の許氏の子孫と推定される金海(キムヘ)にある古墳の遺骨からDNAを分析。
・その結果はインド南方系であった。
・韓民族のルーツとされるモンゴル北方系とは異なっていた。
■アヨーディヤー(アワド)
インドの古都。
アヨーディヤーは「難攻不落の都城」を意味する。
古代コーサラ国の初期の首都とされる。
コーサラ国は古代インドの王国。
現在のインドのウッタル・プラデーシュ州、古代で言う「アワド地方」に相当するとされる。
コーサラ国は紀元前6世紀から紀元前5世紀には十六大国のひとつに数えられていたがマガダ国との戦争により弱体化、紀元前4世紀には併合されてしまう。
仏教経典「マッジマ・ニカーヤ」によればゴータマ・ブッダはコーサラ国の者とされる。このため仏教にとってアヨーディヤー(アワド)は重要な地であると考えられる。
■仏教の伝来とガヤ
ガヤとは。ブッダガヤ(仏陀伽耶、Bodhgaya ※)とはブッダが菩提樹の下で悟りを開いたとされる地で八大聖地の最高の地とされる。紀元前5世紀頃よりブッダガヤをはじめとしてガンダーラ地方(ヘレニズム文化、紀元前4世紀)、敦煌、そして1世紀には雲崗や竜門にまで仏教は伝わる。4世紀には東晋や高句麗へと伝わった。さらに、同4世紀に東晋を通じて百済へと伝わった。
※ブッダガヤは19世紀にヨーロッパのインド学者によってつけられた名前とされる。
この地はブッダ以前から聖地であった。単にガヤー(ガヤー・ダルマクシェートラ、あるいはガヤー・ティールタと呼ばれていた地の一部とされる)と呼ばれていた。
■伽耶と金官伽耶
伽耶とは都市や聖地を意味する古代インドの言葉「ガヤ」を由来とすると考えられる。インド神話そして金官伽耶にサータヴァーハナ朝から阿踰陀(あゆだ)国の王女、許黄玉(きょ こうぎょく)が渡来するなどインドを由来とする人物の影響が古代朝鮮半島にあるものと推測される。
■感想
個人の感想レベルの話。
では伽耶・ガヤは何の聖地であっただろうか。
東の国を求めて朝鮮半島に様々な民族が西方から到来。
おそらく安羅はアッラーから名付けた地名であった。
400年代頃には儒教、仏教、旧約聖書、新約聖書の教えの教えが終結。
世界の教えの聖地であったのではないだろうか。
<参考>
・居登王 - Wikipedia
・慕貞 - Wikipedia
・好仇 - Wikipedia
・趙匡 (金官伽倻) - Wikipedia
・アヨーディヤー - Wikipedia
・コーサラ国 - Wikipedia
・ブッダガヤ - Wikipedia