シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

58.東洋の奇跡と言われた日本の高度経済成長

戦後、国土も荒廃した日本だが経済的な成長を遂げる。
既に1968年時点でGNPで世界第2位の経済大国とる。
どのような流れで経済が復興したのだろう。
次の流れで紹介。
・特需景気
・高度経済成長期(1955-1973)
・技術革新
・経済復興の背景
・高度成長のひずみ
・経済大国へと

■特需景気
1950年に始まった朝鮮戦争(1950-1953)により日本は経済復興を果たした。
その理由は、米軍の補給基地となったことである。
軍事物資の需要が増えて「特需景気」となる。
今度は戦争が日本の経済の復活をもたらした。

■高度経済成長期(1955-1973)
1955年頃からは高度経済成長期となった。
造船や鉄鋼が経済をけん引した。
そして機械、電子機器分野で輸出が伸長した。
 「もはや戦後ではない」は1956年、政府が経済白書で記された言葉。
戦後からの復興を遂げる時期ではもはやなくなり、これからは新しい時代に入っていくという意味である。

国民も収入が増え、購買意欲も高まった。
家庭では電化製品が普及、便利な暮らしができるようになっていった。
高度経済成長の前半期、マスコミ主導の「三種の神器」という言葉が生まれた。
これは、当時の人々のあこがれの商品、電気洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫のことである。
さらに後半では、カー、クーラー、カラーテレビを「新・三種の神器」と言い「3C」とも呼ばれた。

1960年には池田内閣が経済成長を促進する政策をとっていった。
所得倍増計画」を発表し、10年間で所得を2倍にすると宣言した。立案は下村治氏とされる。

1964年には東京オリンピック開催にあわせ、インフラとなる新幹線や高速道路の整備を進めた。

1968年にはGNPでで西ドイツ(現ドイツ)を抜いて、アメリカに次いで世界第2位となった。1969年には「エコノミック・アニマル」が流行語となった。この言葉は経済利益を追い求める蔑称として使われる。パキスタンのブット大統領が話したものが誤訳されたものである。

書籍「エコノミック・アニマルは誉め言葉だった」・多賀敏行氏によれば、イギリス人に聞くと「エコノミック・アニマル」に悪いイメージはない。類似する「ポリティカル・アニマル」は「政治のわかる人間」で使われる。ゆえに「エコノミック・アニマル」は「経済のわかる人間」という意味になる。悪いイメージを持つ単語はアニマルではなく、ビースト(野獣)のほうだ。日本人が、自らを自虐的な言葉で表現しているだけであり、実は褒め言葉だったのだ。

■技術革新
技術革新が急速に進んだ。

工場が自動化され、鉄鋼、造船、自動車、電気製品、石油化学などの重化学工業が発展した。またエネルギー資源が石炭から石油へと変わった。

太平洋沿岸に石油化学コンビナートや製鉄所が設立され、「太平洋ベルト」という茨城県大分県までを結ぶ工業地帯・工業地域ができた。

また「財閥解体」で解体されていた財閥系大企業が立ち直ってきた。

■経済復興の背景
急激な日本の経済復興にはアメリカの影響も大きい。
軍事をアメリカに肩代わりしてもらったからだ。
日本は経済の成長、発展を最優先に取り組む「親米」「軽武装」「経済重視」の戦略を取った。
戦後、総理大臣としてこの方針を打ち出した吉田茂にちなんで、「吉田ドクトリン」と呼ばれた。
「対米従属外交」とも評された。

■高度成長のひずみ
経済の急成長が多くの社会問題を引き起こした。
①農村部の過疎化
産業の発展に伴い、若者を中心として都市への移動が起こった。
その影響で農村、山村で過疎化が進んだ。

②都市問題
都市で人口の過密化が起こった。
その影響で住宅が不足、また交通渋滞、騒音などを引き起こした。

公害病の発生
工業発展を優先し、国土の乱開発や公害が起こった。
以下は特に深刻な被害となった「四大公害」である。
四日市ぜんそく・・・三重県四日市市、大気汚染
イタイイタイ病・・・富山県カドミウム
水俣病・・・熊本県水俣湾、メチル水銀化合物
新潟水俣病・・・新潟県阿賀野川流域、メチル水銀化合物
四大公害裁判が起こった。
のち、政府は公害対策基本法を制定、1967に公布した。
さらに環境庁を設置し、対応を行った。
その後、公害対策基本法は1993年の「環境基本法」施行に伴って統廃合された。

■経済大国へと
1972年には田中角栄が「日本列島改造論」を発表した。
1973年には石油危機が発生して世界は大きな打撃を受けた。
これに伴い高度経済成長期が終わった。
しかしその後も日本は輸出を伸ばし、省エネルギー化を進めた。
また公共投資を増やすなどした。
そして不況から脱出した。
貿易収支の黒字が続いて海外への投資も増えた。
1988年には世界一の黒字国となった。
1980年代後半には土地や株価が高騰する「バブル経済」を経験した。
1990年代にはそのバブルがはじけ好景気が終わった。
その後、日本経済は不況となって停滞し、銀行や企業の倒産が相次いだ。

経済や社会の仕組みを立て直す「構造改革」が求めらるようになった。

<参考>
・改訂版 中学校の歴史が1冊でしっかりわかる本
・流れがわかる日本史
・エコノミック・アニマルは誉め言葉だった 誤解と誤訳の近代史
高度経済成長 - Wikipedia
三種の神器 - Wikipedia
下村治 - Wikipedia
吉田ドクトリン - Wikipedia
太平洋ベルト - Wikipedia
財閥解体 - Wikipedia
四日市ぜんそく - Wikipedia
水俣病 - Wikipedia
第二水俣病 - Wikipedia
イタイイタイ病 - Wikipedia
日本列島改造論 - Wikipedia
公害対策基本法 - Wikipedia